1.3 進化心理学の来し方と行く末
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特に人類や、人類以外の霊長類、有蹄類の行動生態学と社会行動の認知の基盤に関する関心が大きい
認知的資源の限界のために、個人は限られた数の他個体との間にしか安定的な関係を持つことができないとされている
ダンバー数はまさにヒトの認知的資源内で維持できる親密な人間関係の上限人数を表したもの
ダンバー数によると、この上限人数は大脳新皮質の大きさによって決められているものであり、グループの規模を制限するものでもある この数は過去の知り合いも含まれている
ヒトとサルは生理的にも解剖学的にも、そして行動的にも非常に近いにもかかわらず、なぜヒトとサルは違うのか
ダンバーはヒトの精神・思考の領域におけるずば抜けたパフォーマンスにその原因があると考え想像や思考こそがヒトを特別にしているものであると主張した
彼は1998年に「社会脳仮説」を提唱し、大脳の著しい発達は情報を記憶するのみではなく、その操作においても重要な役割を果たすことを主張した。
複雑な社会・集団生活において、より多くの認知的資源が必要とされたことこそが、進化の原動力であったと論じた
進化心理学もその誕生と初期には混乱と対立を抱えていないわけではなかった
部分的にはこれは進化心理学自体がややハイブリッドな起源を持つことから来ている
この新しい学問分野はより自然史的なアプローチで動物行動の研究に臨んだ
動物を野外で観察し、動物の認知能力や行動を自然の状況に照らして検討した
それ以前の比較心理学は実験室の動物の研究に焦点を当てていた
動物行動学の中から、自然の文脈で動物の社会を研究する分野が、社会生態学として知られるようになった 社会生態学でも、なぜ動物は特定の社会システムを採用するのか機能的説明が非常に重視された
動物行動学はこの時点において二つの重要な貢献を果たした
ひとつは動物を実験室ではなく、本来の生息地で研究することの重要性を強調したこと
つまり、動物がなぜそのように振る舞ったのかをよりよく理解するために、動物の視点から世界を眺める
ティンバーゲンは生物学者が「なぜある生き物がある形質を持っているのか、もしくはある特定の行動をするのか」と問うとき、四つの全く異なる種類の「なぜ」という問いに対する答えを求めているのだと論じた
機能
なぜこの形質が進化したのか、自然淘汰における優位性についての問い
メカニズム
どんな生理学他の至近要因のおかげで生物がこのようにふるまうことができるのか
発生
どのようにその形質を持たない受精卵からこの形質が発達しているのか、生まれと育ちのバランスの問い
系統
どんなルートをたどってその形質を持たない祖先からその形質を持つ種が生じたのか、進化史についての問い
これら四つの意味を持つ「なぜ」全ての進化研究の中心
一方で、これらは論理的に異なるため、一つ一つの問いに答える中で、どれか一つの問いへの答えが、別の問いへの答えが取りうる幅を狭めることはない
これは重要なことで、私たちは他の問いについて悩むことなく、順番に問いに挑んでいくことができる
1950年代から60年代の間、動物行動学は行動の動機や発達に焦点を当てる傾向にあった
しかし、なぜ行動が進化してきたのかに関して、動物行動学の論拠は極めて薄弱だった
全ての生物学者がダーウィンと彼の自然淘汰による進化の理論の貢献を認めていたが、彼の理論を自然界に適用することには困難が伴い、しばしば群淘汰的な見方に行き着いてしまった 言い換えれば進化は個体ではなく種の利益のためであるという主張で、このような立場を取った人々は、進化心理学の主軸をめぐる競争において完全に脱落する羽目になる
全く新しい分野である社会生物学が動物行動学に取って代わったのではないと理解することは重要
違いは淘汰がどのように働くかについての理解が向上したことのみであり、結果として、機能的な説明の本質について多くの洞察が得られた
利己的遺伝子アプローチという強力なフレームワークのおかげで、それまでよりはるかに具体的な問題設定を行い、想定される結果について明瞭かつ簡潔な予測を立てることが可能になった
その結果、特に機能を問う研究が爆発的に増加した
新しい視点は、一つの重要な結果をもたらした
研究上の関心が行動の集団レベルの側面を離れ、行動の進化的に重要な面ー採餌、配偶者選択、親による子への投資ーに関する個体の意思決定へと移っていった。
社会システムの創発的な特性ー1960年代から70年代にかけての中心的なトピックーは大きな関心を向けられるトピックではなくなった
その理由の一つに、集団レベルのプロセスが群淘汰に似すぎていたことが挙げられる
1980年代に、このアプローチが動物からヒトの行動へと広がり、二つの全く異なる方向へと別れていった
一方は動物行動の研究(行動生態学として知られるようになっていた分野)を発展させたもの
機能的な問いと伝統的な社会に焦点を当てている
こちら側の研究者は多くが人類学畑の出身だったため、すぐに進化人類学として知られるようになった
もう一つの方向性は、主流派の心理学から発展してきたもの
行動の基礎となっている認知メカニズムにより明示的に焦点を当てている
進化心理学として知られる
進化人類学者は機能を問うていて、心理学者はメカニズムを問うている
この二つは対立しているのではなく、むしろお互いを補完しあっていて、だからこそ統合されるかもしれない
私自身の研究はこの相補性を反映している
バックグラウンドは心理学だったので、心理学的メカニズムの視点を理解しているが、博士論文は現在行動生態学と呼ばれる分野のもので、霊長類に関する研究だった
よりはっきりと生物学的機能に関する視点の訓練を受けた
1990年代に私が本気でヒトの研究を始めた当初、私の研究テーマは行動生態学の中心的なトピックに関するもの
しかしながら、霊長類、とりわけヒトは、他の動物にはほとんど見られないような濃密な社会性を持っている
大規模な集団でうまくやっていくことに関する心理学的プロセスについて考えるようになった
この説明は、霊長類が普通あり得ないほど複雑な社会に住んでいることに依拠している
私は霊長類の社会集団の大きさに関する大量のデータを使って、この仮説を初めて直接的に検証した
私と私の研究グループは、行動の多くの面と集団サイズの関係をきわめて詳細に調べ、さらに鳥類や他の哺乳類においても脳のサイズと社会性の関係を調べてきた
後者では、脳のサイズと集団サイズに定量的な関係が見られるのは霊長類だけだということがわかった
これまで調べられてきた全ての鳥類と他の哺乳類では、社会的知能はより定性的な形をとる
一夫一妻は高度な認知能力を要求するようだ
配偶相手と自分の行動をうまく合わせるのはとても複雑なことで、それには自分だけでなく相手の視点にも立って物事を見ることも必要となるからだろう
霊長類が成し遂げたのは、このような能力を繁殖の関係から集団全体へと一般化すること
要するに彼らは友人関係を発明した
このように考えられる理由は霊長類が生存や繁殖の成功という課題への解決の一つとして集団を利用し始めたから
しかしながら、集団生活は暗黙のうちに結ばれた社会契約の一形態
個体は進んで他者に寛容にならなければならないし、他者の興味関心を考慮に入れなければならない
そうしなければ集団は分裂し、集団生活の利益は失われてしまうだろう
そうれなれば、霊長類が生息できる環境の幅は大きく制限される
多くの旧世界ザルや何よりヒト生きる、開けた地上の生息環境に進出占有するためには、こ集団行動の問題を解決し、一大集団を機能的な集団として維持する仕組みが必要 霊長類は、密な個体関係をベースにしたより連対した社会システムを進化させることによってこれを成し遂げたように思える
ヒトもこの問題にもっと極端な形で向き合っていて、それは私たちの祖先が約200万年前、より放浪性・移動性の高い生活様式を獲得し、かつてないほど大きな社会集団で暮らすことが必要になったため(Aiello & Dunbar, 1993) これらの考察から、私の研究状の興味は、社会関係の本質と、それらが大きな社会コミュニティの形成にどう関わるのかの探求へと移っていった
近年の研究で主に友人関係や他の関係性の本質の基盤となる行動と認知の両方を理解し、またこうした種類の関係性ネットワークの特徴を理解することに注いできた
個体を結びつけるため、社会グループ全体を結びつけるため、どちらにも使われているメカニズムも私の関心の一つ
約150人からなるヒトの社会共同体は、霊長類のように毛づくろいによってつながるには大きすぎるため、ヒトが新しい形の絆形成メカニズムを進化させたことは明らか
当初、私は言語がこの役割を果たしたと考えた
というのも、それによって私たちは、社会ネットワーク内の誰が誰と何をしているのか、自分の目で見て確かめられないときでも知ることができる(Dunbar, 1992b) ヒトが言語を獲得したのはおそらく進化の過程のかなり遅い時期(早くても約50万年前)であり、他の霊長類と同じくらいの集団サイズだった真のヒト系統の最初期の祖先と、言語の出現との間のギャップを埋める他の何かが必要であることに気づいた
これらの両方がエンドルフィン(毛づくろいが絆を生み出す仕組みを担う神経ペプチド)を非常によく放出させるし、笑いは少なくともとても古いもの(我々はそれを他の大型類人猿、特にチンパンジーとも、単純な形ではあるにせよ共有している) オリジナルの社会脳仮説から生まれた主要な発見の一つに個人の社会ネットワークのサイズには限界があり約150だという予測がある
しかし、前述したような理由のため、相当な個体差が存在する(典型的には100~200)
もっと興味深いのは、社会ネットワークが高度に構造化されいてることが明らかになったこと
階層化された友人関係のレイヤーが存在ししかも各レイヤーの大きさの比率が約3(5, 15, 50, 150, その外側に500と1500)となっている(Zhou, Sornette,Hill & Dunbar, 2005; Hamilton, Milne, Walker, Burger, & Brown, 2007) 上のレイヤーに行くたび、「友達」の数は増えるが、その関係の質や感情の強さは減少していく
近年私は、次世代の携帯電話のための技術基盤の開発に携わるコンピュータ科学者と共同で一連のプロジェクトを進めている
携帯電話界の聖杯の一つとして「拡散性適応」が知られている これは、携帯電話自体を中継地として使うもので、固定基地局を廃止することができる
人々の社会ネットワークを理解することで二つの電話をつなぐ最適なルートを選択するアルゴリズムを設計する最適な方法への洞察が得られるかもしれない
集団レベルのプロセスと、標準的な利己的遺伝子の進化的視点との統合が難しいのはコストを払うことなく社会的利益を享受するフリーライダーが社会契約を常に不安定化させるため それを避けるため、社会性の利点を損なうことなくフリーライダーの成功を妨げるメカニズムが必要
このメカニズムがなんであるか、そしてどのように働くかを解明することが将来の重要な課題となっている
罰(特に利他的な罰、または2次の利他行動)は、進化経済学者や多くの進化生物学者と心理学者が有力視する解のひとつ 私の意見では、罰は社会を結束させるには不向きなやり方
人々がお互いに親切にすることを強いることなどできない
より深くそしてひょっとすると社会的により効果的な解決策は、共同体へのコミットメントと、社会の結束へのポジティブな力を生み出すこと
私たちはより一般的な社会脳の基盤となる認知についても、それがヒトにおいてどのように働くのかの詳細についても不十分な理解しかできていない
将来への重要な課題の2番目は、こうしたメカニズムを明らかにすること